第五十六話「悪夢は逃げない」



 涙が止まらなかった。その場にへたり込んでしまい、体も動けなかった。ただただ、その場で泣いているしか出来なかった。
 ここはラルゴの出した幻想空間「スカイピア」ではない。スカイピアの子供達の怨念によって形成されたリヴァイアサンの体内だというのに、どうしても涙が止まらなかった。
 リヴァイアサンは何も言わない。何も動かない。体内に誰も出てこない。幻想空間が尽きた途端、唯一姿を見せていたルヴィも消えていた。空中を漂う魂達も消えていた。ここにいるのは座り込んで泣いている絵龍と唯一幻想空間を出す前から様子を変えないラルゴだけであった。
 ラルゴは辺りを軽く見渡してから、小さくため息をついた。

「……少しやりすぎたか。ほとんど気を失っているし、これでは当初の目的が果たせん」

 その言葉を聞いて、絵龍は己の耳を疑った。
 この男はまだそんな事を口にするのか。あの惨劇を見せ付けて、トラウマを抉り続けて、それでも尚冷たい顔を崩さなかったこの男は、何も感じていなかったのか。
 半分呆然半分嫌悪の思いで、絵龍は涙でくしゃくしゃになった顔で安定しない声で訴えた。

「なんで、そんな平然としてるんすか……?」
「感情移入しなかったからに決まってるだろ。一々誰かと同じ気持ちになったりするなんてくだらない事だ。必要なのは、その時どうやって動き、どうやって対処するかという事だけだ。ただ今回は少し失敗したけどな」
「失敗……? 今、失敗って……?」
「あぁ、失敗と言った。俺達の目的はリヴァイアサンの体内から脱出し、連中と合流する事だからな。精神的に屈服させるつもりだったんだが、どうにもやりすぎたみたいだ」

 幻想空間になると加減が難しい。
 ため息をつきながらそう呟くラルゴを見て、絵龍は愕然とした。そして怒りが湧き出てきた。
 重すぎる過去を見せ付けておいて、言う事がそれなのか。思う事がそれなのか。自分の事しか考えていないと言うのか。天使達の事なんて何も感じていないというのか……!!
 絵龍は涙を乱暴に拭きながら立ち上がり、怒りのままにラルゴに怒鳴りつける。

「……何も、思わなかったんすか……。あんな光景を見ておいて、まだそんな事を言えるんすか……!! みんな、泣いてたのに、苦しんでたのに、痛くて怖くてたまらなかったのに、あんたはまだそんな事が言えるのかっっっ!!」

 ラルゴはいきなり怒鳴りだした彼女を見て、思わず目を丸くした。だがすぐに細めて、先ほどと変わらない冷静さで返す。

「俺にはお前の言葉の方が理解できないな。こいつ等は俺達の敵対者、そんな奴等に情を持つ方がおかしい」
「おかしいのはあんたの方っすよ! みんなを苦しめておいて、何も感じていない。何も思っていない。極めつけには自分の事ばかりじゃないっすか!!」
「同情すれば、こいつ等が救われるのか? 生き返れるのか? ハッピーエンドになるのか? なるわけがないだろ。それなら最初から何も感じていない方がどちらにとっても楽だ。お前のやり方はあまりにも馬鹿げている」

 涙ぐみながら抗議する絵龍に対し、ラルゴは冷たい刃のような過去を見捨てている正論で反論した。
 彼の意見は最もである。己がどんなに思ったところで、天使達が戻ってくるわけではない。彼等の苦しみが浄化されるわけではない。だからこそ彼の言葉が腹が立つ。機械よりも機械染みた冷血な彼が憎たらしい。
 あまりにも、あまりにも、冷静すぎるが故に残酷なラルゴに絵龍は耐え切れずに本音を吐き散らした。

「……機械みたいに冷静に的確に動いて、それで自分はこんなに凄いんだよ偉いんだよ正しいんだよってアピールしてるんすか?」
「……何だと?」
「だってそうでしょ? こんなに子供達を傷つけておいて、言う事がそんな心無い事ばっかなんすから。うちの言葉全部否定して、トラウマを抉りまくって、天使達を再起不能にして、それでも自分を正当化しているなんてどれほど自分勝手なんすか? 我が物顔で踏みにじっておいて、相手には謝罪の一言も何も無い。だって自分のやってることが絶対正しいって思い込んでるんだから!! それが一番人を傷つけている事も知らないで、機械よりもずっと冷たい態度で動いてるとこを見てるだけで……腹立たしくて仕方が無い!!」

 暴言を吐き散らす絵龍に一瞬表情を歪ませるものの、ラルゴは持ち前の冷静さで何時もの表情で何時もと変わらない様子で彼女を宥めようとする。それが逆効果になるとも知らずに。

「落ち着け、絵龍。この状況下で自分を見失うな。こいつ等が静かになってるといっても、安全になったわけでは……」
「黙れ! あぁもう、あんたが喋るだけで苛立って仕方ないんすよ、こちとら!!」

 完全に頭に血が上ってしまっている。ラルゴは目の前にいる絵龍を見て、そう判断した。どうやらあの幻想空間「スカイピア」の光景は彼女にとって耐え切れるものではなかったようだ。
 だが自分には彼女を慰めたり、落ち着かせたりする器用さは無い。だからそのまま放置して、天使達のトラウマを抉る事に集中していたのだが逆効果だったようだ。
 現状としてはここで絵龍に自分を見失ってほしくない為、ラルゴはその身に魔力を貯めながら言う。

「仕方ない。少々荒療治になるが、落ち着かせるしかないか」
「今度は何をする気っすか? 今度は何を見せるつもりっすか……!」
「お前はもう少し冷静になれ。状況を読め。自分の感性だけで動くな」

 そう言いながら、ラルゴが絵龍目掛けて魔法を発動させようとしたその時だった。
 突如としてリヴァイアサンの体内を突き抜けて、咄嗟に跪いてしまいそうなぐらい強大な力が響いてきた。



                          『  ミ  ツ  ケ  タ  』



 同時に、川のように清んでいて聞く者を魅了させるようで実際は聞いた者を逃がさない恐ろしい声が二人の耳に入り込んだ。
 それに連鎖するようにリヴァイアサンが大きな悲鳴を上げる。体内に不可思議な虹色の触手が湧き出てきて、次々と魂達を取り組んでいく。ラルゴと絵龍も例外ではなく、二人の足にも触手は絡まっていく。

「何だこれは……!?」

 触手を振りほどこうと空を飛ぼうとするものの、それよりも早く虹色の触手がラルゴの羽を捕縛した。そのまま触手は彼を引っ張り、勢い良く地に叩きつける。
 その痛みにラルゴは少し顔を歪ませる。だけどすぐに解放されようと両手を地につけて炎魔法で触手を焼き切り、急いで空中へと避難した。だが上下から新たに虹の触手が生えていき、ラルゴを再び捕まえようと襲い掛かる。

「貴様を貫く魔の力は雷。我等の拘束、汝の力によって断ち切る!!」

 ラルゴは素早く詠唱し、雷を放って上下の触手を黒焦げにして行動できなくさせる。でも触手はすぐさま回復し、先ほどと同じかそれ以上の素早さで彼を捕縛しようと襲い掛かる。
 あまりに復活が早すぎる光景に男は雷魔法で触手を止めながらも分析していく。

「一体何だこいつは……。リヴァイアサンとは明らかに魔力が違う。いや、それどころかこの魔力、感じた事がある」

 何処だ、何処で感じた。この強大すぎる魔力、一体何時何処で感じた。
 必死に試行錯誤するものの出てこない。これほど強い魔力を感じた事があるのならば、忘れているわけが無いのだ。記憶力には自信がある方だというのに、これは一体どういう事だ。それとも何か勘違いをしているのか? 何か思い込みをしてしまっているのか?
 その時、一瞬だけ意識を触手から向けてしまい、隙をついた触手に雁字搦めにされてしまい、そのまま全身を飲み込まれていく。ラルゴは驚きながらも己のミスに舌打ちしながら、わずかな隙間から絵龍に目を向ける。絵龍も同じように触手に全身を飲み込まれていくものの、奇妙な事に口だけはまだ解放されているままだった。
 絵龍はわずかな隙間からラルゴが見えているのか、触手に飲み込まれているというのにいやらしく笑ってこう言った。

「ざまぁみろ」

 直後、絵龍は触手ごとリヴァイアサンの内側に引きずり込まれていった。その光景と言葉にラルゴは目を見開き、そして彼にしては珍しく嫌悪の感情をあらわにした。

「あの馬鹿……!」

 天使達に感情移入しすぎたあまり、状況も読まずに俺が報いを受けた事で満足しやがった――!
 ラルゴは絵龍の心理を咄嗟に察するものの時既に遅し。己の肉体も彼女同様リヴァイアサンの内側に引きずり込まれていった
 そして、二人――正確には二人を飲み込んだリヴァイアサンそのもの――は虹の触手に飲み込まれた。

 虹色の触手を操る主は咆哮し、空中へと向かっていった。

 ■ □ ■

 海底神殿の地下最深部にいる者達はいきなり床に映し出された光景に己の目を疑った。
 ラルゴと絵龍を飲み込んだあの邪龍リヴァイアサンが、突如として上方向から伸びてきた虹色に輝く無数の触手によって全身を飲み込まれていき、そのまま吸収されるように縮小していくという驚くしか出来ない光景であった。
 触手の先には良く見えないものの、一体のカービィがいるのが分かる。暗い海底の色と相反し、水色と独特な翼は良く目立つ。そのカービィはリヴァイアサンが縮小していくにつれて、徐々に姿をカービィから滑らかな翼を生やした細長い蛇(いや、大きさから見て龍といっても過言じゃない)へと変幻させている。
 まるでリヴァイアサンの全てを奪い取っていくこの光景は、脅威としか言いようが無かった。
 唯一驚いていないヴァルアスは床に映した光景に対し、一言こう言った。

「これが私の予期していた事だ」
「あのドラゴン……まさか」

 ナースはカービィから龍に変化していく姿を見ながら、脳裏にサザンクロスタウンの事が蘇り出す。
 アレは見た事がある。それどころか乗った事がある。あの大きくも細く滑らかな七つの翼を背に生やした水色の巨大な龍は、ダイダロスの軍勢が襲いかかってきた時に逃げ出す時に皆で乗り込んだ。ならば――。
 ヴァルアスは彼の疑問に答えるように、頷いた。

「そうだ。アレは大国防衛隊五番隊隊長であり、否定の魔女の神側の協力者である虹蛇コーダだ」
「……は!?」
『待て。今、なんと言った?』
「神側の協力者って……?」

 またも出てきた衝撃発言にシルティは己の耳を疑い、ダム・Kとちるも反射的にヴァルアスに尋ねた。他のメンバーも同じなのか、驚いた様子でヴァルアスを見ている。
 彼女はその反応に何のリアクションもせず、ただ答えるだけだ。

「否定の魔女を滅ぼしたいから彼女に協力している神や神の関係者も大勢いる。中には登場人物の中に混ざりこむ奴もいる。コーダはその一人でな、スカイピアの失敗から魔女と敵対する側に所属したというわけだ」

 もっともその魔女に痛い目に合ってしまったがな。ヴァルアスはそう付け足しながら、コーダの正体をあっさりバラした。
 再び衝撃発言された方からすればたまったものではない。何せ知人、それも大国防衛隊の隊長格が神々の関係者で魔女の協力者だったなんて聞いてしまえばどう反応すればいいか分からないし、予想外にも程がある。ミステリアスな人物であるとは思っていたが、そのオチがこれってありか。

『通りであんな変身能力が……。でも、それなら色々ばれててもおかしくないと思うけど?』
「裏工作は神々の得意技だ」

 ダム・Kの通信機越しに疑問をぶつけるZeOだったがヴァルアスにキッパリ言い切られてしまった。なんちゅー得意技だ。
 すぐさまクレモトがヴァルアスに問い詰める。

「それより絵龍ちゃん達はどうなったの?」
「リヴァイアサン共々コーダの体内に飲み込まれた。多分コーダは瀕死状態に叩き落とされたから、必死で復活しようともがいてるんだろう。そして復活するのに良い材料が無防備に佇んでいたから喰った……ってところか」
「それは見て分かった。僕が聞きたいのは生きてるか死んでるかどうかだよ」
「見たまんまじゃないのか?」

 ヴァルアスは明確には答えず、床に映ったままの光景を指差して返すだけだ。クレモトはハッキリしない答えにやや苛立ちを感じた。自分らしくないと思いながらもあんな事になってしまえば話は別だと納得させた。
 とにかくこのままでは話が続かないと思ったのか、ヴァルアスは床の映像を消しながら一同に向かってこう言った。

「驚愕している暇があるなら、早くコーダを追いかけた方が良いぞ。彼奴が次に姿を現すのはレッドラムの筈だからな」

 彼女がそう言うと共にダム・Kが持っていたミラリムの鏡の表面が本来の人を映すモノへと戻った。同時に鏡は光に包まれていき、あっという間に黒のドレスを身に纏うカービィ――黒薔薇状態のミラリムへと変身する。
 ダム・Kは復活した彼女を見て喜び、駆けつけると「大丈夫だったー!?」と看板で心配する。黒薔薇は優しく微笑みながら彼の頭を撫でて安心させる。そしてすぐさま己を封印した張本人であるヴァルアスを睨みつける。

『相変わらず都合の良い時だけ人を頼るわね、ヴァルアス・ラリーア』
「そんなにトゲトゲしないでほしいな、ミラリム。闇を纏わされ逆十字を標された乙女の姿はとてもチャーミングで魅力的なのに」
『お世辞はいらないわ』

 黒薔薇はそう言ってヴァルアスから目線を反らし、ダム・Kと共に他のメンバーの下へと歩んでいく。
 その後姿をヴァルアスが眺めている中、不意に話しかけられた。

「……あなたはそこまで知っていて動かないのか?」

 話しかけたのは今まで黙って事の成り行きを見守っていたケイトであった。
 他のメンバーが「黒臼の回収」やら「天使の子供はどうする」やたと軽く話し合っているもののヴァルアスはそれら全てを聞き流し、ケイトに向かって頷いて答えた。

「我に出来るのは真実を教える事ぐらいだからね」

 その顔は酷く満足げだった。ケイトにはそれが不快でたまらなかった。
 だけどヴァルアスはそれ以上何も言わず、目を瞑って誰よりも愛しい魔女の事を思うだけだった。



第六章「海底神殿」終了。










  • 最終更新:2014-06-15 18:22:28

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